見つめ直そう家庭の力
平成24年11月16日
天草市天草町民センター


 皆さん、こんばんは。
 ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 私は、大学の先生方のように家庭教育について専門的に勉強したわけではありません。2人の子育て、3人の孫育て、そして学校に勤務している時、社会教育主事をしている時、家庭教育について見たり聞いたり、考えたりしたこと、さらに日頃考えていますことを中心に話をします。
 私は、このように壇上で、演台に手をついて話をするのは苦手です。できるだけ皆さんのそばで話をするのが性に合っています。下に降りて話をします。(前の席から私のソックスを見て驚きの声が上がる)
 あぁ、私のソックスは5本指です。私はこの5本指の靴下を愛用しています。最近は、どこにも売っているようですが、少し前まではあまり売ってなかったものですから、探し回って購入していました。5本の指が自由に動くので気持ちがいいです。皆さんもいかがですか?
 少し自己紹介をします。先ほど、「なかがわありとし」さんと紹介していただきました。「ありとし」と呼ばれることはほとんどありません。「ゆき」さんまたは「ゆうき」さんと呼ばれます。
 私が牛深小学校に赴任した時のことです。校長先生に、「中川です。よろしくお願いします。」とご挨拶に行くと、校長先生は驚いたような表情で私を見て、「あたは、ほんなこて中川先生な。わしぁ、『今度来る二人の先生は女の先生、そるも名前からして美人の先生ばい』て職員には紹介しとったのに。もう一人の先生は名前のとおり美人だったばってん、あたは男の先生な。ほんなこて中川先生な。」と本当に困った顔でおっしゃいました。校長先生も、私を「ゆき」または「ゆうき」と読まれたのだろうと思います。このように女性と間違われる名前ですが、私はこの名前が大好きです。こんなすばらしい名前を付けてくれた父を敬愛しています。父は、「年相応の人間になって欲しい」との思いでこの名前を付けたとよく言っていました。「有」は、上に「保」を付けると保有するという熟語ができるでしょう。つまり、「有」には、「保つ」という意味があります。私の父は「有」と書いて「たもつ」と読みました。「紀」は、「21世紀」の「紀」です。つまり、「年」という意味があります。このことから「年を取るにつれて年相応の人間になれ」という父の思いから名付けてくれた名前です。今年、69歳です。来週の23日、勤労感謝の日に中学校の同級生で古希の祝いをします。69歳の今でも幼なじみからは、「ありちゃん」の愛称で呼ばれています。
 女子サッカーワールドカップで優勝した当時のなでしこジャパンの主将だった沢穂希さんの名は、豊作を念じてお父さんがつけてくれたそうですね。
 皆さんも、お子さんが誕生した時、いろんな思いを込めてお子さんに名前を付けられたでしょう。その親の思いを、人生の節目節目に、たとえば、誕生日だったり、進級や進学時などにお子さんに語ってください。小学校2年生くらいまでのお子さんだったら、膝の上にだっこして、手を背に回して、目を見て、お子さん誕生の時の感動を思い起こしながら名前に込めた親の思いを語ってください。高学年や中学生でしたら、手を取り、目を見つめて語ってください。きっとお子さんは、自分の名前を好きになり、誇りに思い、「素晴らしい名前を付けてくれてありがとう」と両親を好きになると思います。このことが、自分を好きになることにつながります。自分を価値ある人間と思うようになります。このことが自尊感情を育んでいくのです。
 本日は、演題を「見つめ直そう家庭の力」としました。お子さんが1人のところ、2人のところ、3人のところ、4人以上のところもおありと思います。そのお子さんたちの顔を思い浮かべながら話を聞いて欲しいと思います。一人一人のお子さんの子育てについて一緒に考えていきたいと思います。
 子育ては、家庭でも、学校でも、地域でも行われています。しかし、親子の愛、家族の愛を大切にし、家庭でしかできない、親にしかできない子育てを考えたいと思います。
 先生と子どもたちは社会的関係です。先生は○年○組の担任という一種の契約関係で子育てに当たっています。親子は、自然的関係です。契約ではありません。そこには、契約関係にはない血のつながった濃密な関係があります。思いっきり抱きしめたり、時にはぶん殴ったり、とっくみあいのけんかをしながら子育てに当たっています。ですから親にしか見えない子の姿、子にしか見えない親の姿があります。
 資料に付けています小学3年生小島辰仁君が綴った「ビール」という詩を読んでみましょう。


    ビール     小島 辰仁      

  ソファーで読書をしていたら、
  「ごっくん!」
  と何か飲み込む音がした。
  何だろうと思って
  お母さんを見たら、
  何でもなかった。
  でもテレビを見たら、
  ビールのCMをやっていた。
  お母さんがCMを見て
  つばを飲み込んだらしい。
  お母さんって
  本当にビール好きだなぁ。

 普段はこの時刻(午後7時30分頃)は、ちょうど夕食の時間でしょう。この詩を読んで、思わず「ごっくん」と生唾を飲み込んだ人はいらっしゃいませんか?
 この詩を読んだ白梅学園大学の増田先生が評している文を読んでみます。
 「ごっくん」というつばを飲み込む音を手がかりに、家族の風景を見事に描き出したすてきな詩ですね。母と子の間に流れている空気の温度まで伝わってくるようです。読んだ私も詩に引き込まれて、思わず「ごっくん」とつばを飲み込んでしまいました。こんな力のある詩ができるのも辰仁君とお母さんの濃密なコミュニケーションがあるからです。お母さんのことを知り尽くしているから、ビールのCMとお母さんの「ごっくん」が辰仁君の頭の中でつながり、詩が生まれてきたのです。素晴らしいイマジネーション能力ですね。お母さんも相当なものです。ビールのCMを見て、「ごっくん」が聞こえるほど反応するというのですから。辰仁君の能力は、母親ゆずりと言ってもいいかもしれません。そういう私も詩を読んだだけで「ごっくん」となったのですからなかなかじゃありませんか。単なるビール好きなんて一言で片付けないでください。子どもは大好きなお母さんを驚くほどよく見ています。とりわけ、自分がどう思われているかについては、とても敏感です。ふだんの暮らしで「あなたの思いを知る努力をしているよ」という親の姿勢を感じることができれば、子どもは安心して力を発揮できるのです。
 増田先生の評にもありますように、濃密な親子関係をうかがい知ることができます。
 次の中学生の詩は、昭和30年代のものです。当時、山形県で日常の生活を綴って、学力を向上させるとともに生活を見つめ直し、前向きに生きていこうという綴り方運動が起きていました。無着成恭さんという方がこの綴り方学習を実践・提唱されました。
 無着成恭さんが編集した山元中学校文集に「ふぶきの中に」という詩集があります。そこにある横戸栄子さんが記した「屁」という詩を読んでみましょう。


      「屁」         横戸 栄子

  葉煙草の収納がちかづき
  家中きちがいのように葉煙草をのしているときだった。      
  あねさが、
  私の家に嫁に来てから七年もたち、
  二人も、子供を持っているあねさが、
  前にからだをまげたひょうしに、
  プッと 屁をむぐしてしまった・・・・・

  私の家に嫁に来てから
  はじめてたれた屁であった。
  あねさは顔を真っ赤にし、
  「仕事の方さばっかり気とらっで
  むぐしてしまってはあ。
  おら、ぶちょうほうしたっす。」

  「みんなあることだ
  仕事しているときなのなおさらっだべづ。
  ほだな、きにすんな。」
  と慰めながらおっかあを見ると、
  おっかあも
  「ンだ、ンだ。だれでも、あるごんだ。」
  といって笑った。

 「むぐす」は、東北地方の方言で「漏らす」という意味だそうです。
 どうでしたか?思わず笑い出している方もいらっしゃいますね。「屁」を漏らした姉さんの恥ずかしそうな表情、それを気遣う栄子さんの心情、お母さんの優しさが手に取るように分かりますね。この詩には、家族の温かい愛情がにじみ出ていますね。日頃は、口にすることがはばかられる「屁」を題材としたこの詩は、そんな家族の心のつながりを見事に表現しています。また、互いに信頼しあっている家族だからこそこんな詩ができたのだろうと思います。これこそ、この家庭で生活している栄子さんにしか書けない詩だと思います。
 このように、子育ての中には家庭でしかできないことがたくさんあります。先ほども言いましたが、親子は、血のつながった自然関係です。関係の深さは濃密です。その濃密な関係だからこそ、親にしかできない子育てがあると私は思います。
 私は小さい頃、秋祭りなどで親戚からお客に呼ばれ、母と一緒に行き、夕食をごちそうになっていました。その時、母は「すっかりごちそうになりました。もう食べきりません」というようなことを言いながらほんの少ししか食べませんでした。それは、私がこぼしたものや食べ残したものを食べるためです。このようなことは親にしかできません。私はこの母の行為からものを大切にすることを学びました。
 冒頭お子さんに、お子さんの名前に込めた親の期待や願いを話してくださいと言いました。お子さんは、親の期待や願いを受け止め、自分の名前に誇りを持ち、親の期待に応えようと努力するようになります。このことが自尊感情を育んでいきます。自尊感情とは、「自分自身を価値ある人間と思う感情」などを総称しています。この自尊感情については、後で具体的に話をします。私は、この自尊感情が人権尊重社会、生涯学習社会に生きる私たちには最も大切な資質であると思っています。
 私が「お子さんの自尊感情を高めましょう」と訴えているのは、次のことからです。
 私は、放課後子ども教室で、子どもたちにそろばんを教えています。その子どもたちの反応には色々あります。
 そろばんでは理解が難しい箇所が何カ所かあります。まず最初に難しいところは、5珠を使う足し算です。例えば、「3+2」の足し算です。子どもたちは答が「5」になることはみんな知っています。そろばんでは、珠をどう動かして計算するかが難しいのです。「2+2」のように1珠は使えません。そこで5珠を使うのです。この計算は、「1珠は1個しか残っていないので1珠を使っての計算はできない。だから5珠を使う。5珠を入れることは5を足すことになる。2たせばよいのに5たすから3たしすぎ。だから3とる。」と思考するのです。「3+2」の計算でこんなにいくつもの思考をしなければなりません。次の難関は、例えば「6+7」のような計算です。これは、7はあと3あれば10になります。このことを、そろばんでは「7は3とって10上がる」と唱えて、3とって10あげるのですが、1珠は1個入れてあるだけですから3とれません。そこで5珠から3とります。すると2残ります。それで、珠の動かし方は1珠を2個入れて5珠を払って10の位に1珠を1個入れるのです。
 ここで、2つの反応があるのです。何回か挑戦して、理解できずに「そろばんは難しい。やーめた」という子。「先生、わかりません。教えて下さい。」と何度も聞きに来る子。聞いてやってみるとやはりわからない。そこでまた聞きに来ます。「さっき教えたろうが。まーだわからんか!」と私はわざと言います。それでも「わかりません。教えて下さい。」と聞きに来るのです。この違いは何でしょうか。私は能力の違いではないと思います。自尊感情の差だと思います。
 自分の前にある困難を、「どうしても解決するぞ!」の気持ちを強く持つこと、「わかるようになりたい」「できるようになりたい」の向上心、チャレンジ精神も自尊感情の一つです。これがなければ学力は向上しません。ですから学力を身につける最も基礎になる力が自尊感情です。
 20世紀の国家目標は、欧米の先進諸国に追いつき追い越せでした。この追いつき追い越せは、先進諸国の真似でよかったのです。しかし、これからはモデルとなるものがありません。自分で学んだものをもとに創造していく時代です。「1+1=2」を活用して「2+3」はいくつになるかを自分なりに考え創造していく時代です。自分で新たにものを作りだしていくには、チャレンジ精神、困難を克服する精神がなければできません。つまりは自尊感情が根底に座っていなければなりません。
 以上のことから、子どもたちの自尊感情を高めることはとても大切なことだと思います。今、この自尊感情を「見えない学力」と言う人も出てきました。
 先ほどから言っていますように、自尊感情の高い子は、精神的に安定し、何事にも積極的です。自分を律し、自分や他を大切にした生き方ができます。この自尊感情を支える4つの感覚があります。
 それは、「包み込まれ感覚」「社交性感覚」「勤勉性感覚、言い換えると自己効力感」、そして「自己受容感覚」です。
 「包み込まれ感覚」とは、自分の身近にいる人が自分を温かく包み込んでくれているとか、自分を愛してくれているなど、だれかが自分の気持ちをわかってくれているという気持ちのことです。乳幼児期に子どもが泣き声や微笑みなどの信号を発信したとき、親や周りの人がそれに反応することで子どもは安心感を抱きます。このことが幼い子どもでも自分は受け入れられている、包み込まれていることを実感しているのです。
 この4月、次男夫婦に赤ちゃんが生まれました。今、7ヶ月です。じじバカですがそれは可愛いです。手足をばたばたさせて笑ったり、べそをかいたり、大声で泣いたり、そばにあるものを手に取り、口に持っていったり。そのたびに両親は、「おじいちゃん、おばあちゃんがいて楽しいね。」「おしりが気持ち悪かったね。」「このおもちゃが大好きだもんね。」など声をかけています。このような親の反応が、小さな赤ちゃんに安心感を持たせるのですね。赤ちゃんは意識はしていませんが、愛されていることを身体全体で受け止めているのです。私が抱こうとすると、私の顔をじっと見つめて、大声で泣きだします。母親が抱きかかえると、今まで泣いていたのが嘘のようにぴたりと泣き止み、私を微笑みながら見つめるのです。生後、6ヶ月くらいから人見知りが始まりますが、いつも自分の身近にいて自分を包み込んでくれている人は、自分の安心・安全を託すことができる人で、あまり接触していない人は、自分の安心・安全を託すのが不安な人です。だから怖くて泣き出します。これが人見知りするのですよね。ですから人見知りする子は、親の愛をいっぱい受けて育っている子です。
 この包み込まれ感覚が自尊感情の大部分を占めています。しかし、乳幼児期に、いろんな都合で包み込まれ感覚を十分に実感できなかった子もいると思います。学校で社会でこのような子に寄り添い、温かいまなざしで見つめ、包み込まれ感覚を体感させて欲しいのです。
 豊野町子供会育成会長さんから聞いた話です。
 学校で勉強はしない、悪さはする、ずる休みはするという一人の中学生、仮にA君とします。A君は、地域でもあの子は「よくない子」とレッテルを貼られていたそうです。「家庭でも学校でも地域でもよくない子というレッテルを貼られている子だからこそ、子供会で一緒に活動をさせ、地域の子の一人として中学校を卒業させたい」との会長さんの強い思いから、子供会がある度に誘って一緒に活動させていたそうです。そのA君が中学校を卒業して仕事に就いた6月頃、「悪ごろと言われていた僕が中学校を卒業し、就職できたのもおじさんが子供会に誘ってくれたから。もうすぐ夏休み。自分が子供会で一番心に残っているのは海水浴でのスイカ割り。今年も海水浴でスイカ割りがあるだろう。その費用の一部に使って欲しい」との手紙を添えて初めてもらった給料の中から数千円を同封して送ってきたそうです。この手紙を海水浴に行くバスの中で読み上げたら、育成会のみんなが自分の行為を恥じましたと話してくださいました。
 A君は子供会育成会長さんの誘いを通して地域からの包み込まれ感覚を実感したのですね。そして、人の道としての「生きる力」を身に付けたのです。
 「社交性感覚」とは、友達が言ったことを自分はよく分かる、自分の言ったことは友達がよく分かってくれる、という友達や周囲の人との心の通じ合い感覚です。周りの人とつながり感を実感していることです。絆を実感し、互いを信頼し合うことです。冒頭話しました3.11大震災では、釜石の奇跡と言われた「津波てんでんこ」とは、家族も友人も、それぞれがそれぞれの判断できっと生きのびている、だからわたしも自分のことだけ考えて逃げよう、「きっときっと生きて再会できる」という家族に対する信頼を言い表した言葉です。
 「自己効力感」とは、何かをやりはじめたら最後までやり通すことができる、自分はできるという気持ちのことです。自信をもつことができることです。
 「自己受容感覚」とは、自分が好きだとか、自分の性格が好きという気持ちのことです。
これまで見てきました自尊感情は、自分だけの独りよがりでは育まれません。周りの人の肯定的な眼差しや周りの人との関わりの中で育まれます。学校・家庭・地域社会で自尊感情を育む環境を作って欲しいと思います。親と子の愛のキャッチボールを通して、他との交わりで諸々の体験を通して、子どもたちの「自尊感情」を育んでいきましょう。
 これからこの自尊感情を身につけること、そして、高めることを一緒に考えてみたいと思います。
 提案の1は、「子どもたちにいろんな体験をさせましょう」と言うことです。
 私は子どもの頃は遊びの名人でした。冬はこまを回して遊びました。こまの撃ち合いやちょんかけごまです。今日はそのちょんかけごまを持ってきました。
 ちょんかけをしたことがある人いらっしゃいますか?
 回せる人いませんか?
 回してみますね。(「そうめんがけ」をしてみせると、「うわー」という声があがる)
 室内ですからできないのですが、こまを高くほうり上げて回す「大振り」や、「ウグイスの谷渡り」といってこまが横に移動することもできます。「鯉の滝登り」といってこまが下から上に昇ることもできます。手のひらの上で回すこともできるのですよ。
 どなたか回してみませんか?
 どうです? 回してみましょう。(回し方を簡単に教えて回してもらう。ひもを通して少し回る。拍手が起きる。)
 うわぁー、すごいですね。回りましたよ。初めてですか?(「はい」の返事)こまを回すのに1時間かかりますよ。すぐにできるとはすごいですね。
 実は、このこま回しが私はなかなかできませんでした。上級生や友達は上手に回すことができるのに、私のこまはなかなか回りません。私が回すと、(こまを床に落とす)このようにすとんと落ちるのです。何度しても落ちます。上手な人の回し方を見ては、練習しました。こまの向きやひもの張り具合などを観察して練習しました。私は、コマの面を下向きにして回そうとしていたのです。だからすぐに落ちました。上手な人はコマの面を自分のお腹に向けていました。また、私はひもを強く張っていました。だから落ちないときは、宙ぶらりんになっていたのです。上手な人はひもを軽く持っています。上手な人の回し方をよく見て、何日も何日も練習しました。だから回ったときの喜びは忘れられません。「こまが回せるようになりたい」の一心から何度も何度も練習する、この「できるようになりたい」「もっと上手になりたい」という気持ちが、向上心、チャレンジ精神などにつながります。
 私が社会教育関係の仕事をした時の自然体験活動の例を2つほど話します。
 一つは、星の観察です。人里離れた小高い丘でキャンプをしました。夜は、ビニルシートを敷いた上で寝ました。見上げると満天の星空です。真っ黒い夜空に星がきらきらと光り輝く、そして、流れ星がスーと尾を引いて流れます。あの星空の美しさは言葉では表現できません。星空の美しさに見とれて子どもたちは言葉も出ません。この感動を是非味わわせて欲しいと思います。ただ、時期が夏でしたので、あくる朝の子どもたちは蚊に刺されて、顔が腫れていました。同じようなことをしてみようと思われる方は、虫除け対策をして星空を見てください。
 昭和の終わりから平成の初めにかけて、熊本県社会教育課では10泊11日のフロンティアアドベンチャー事業をしていました。ある夏、久木野村の山の中でキャンプを行いました。その夏は雨が多く、ある晩、大雨が降り子どもたちが使う竈や薪がびしょ濡れでご飯が炊けませんでした。そのとき、私たちリ−ダ−の竈はキャンプ協会の人がこのような事態を想定して、竈や薪にビニルシートをかぶせていたので、朝ご飯が炊けました。私たちは、いつものように朝ご飯を食べました。子どもたちは食べる朝ご飯がありません。子どもたちは、私たちの周りに集まって、まさに指をくわえんばかりにして、「おなかすいた−。ご飯が食べたい。」と言っています。私は、その様子を見て、「少し分けてやろうか」と言いました。キャンプ協会の人は、「1食くらい食べなくても人は死にはしません。与えないでください」と言います。実はこれが子どもたちに素晴らしい発見をさせたのです。子どもたちはおなかがすいてたまりません。自分たちの竈は水浸しになってご飯が炊けないのに、どうしてリーダーの竈はご飯が炊けるのだろうかと必死に観察して、竈の周りに排水溝が掘ってあること、使わない時にはビニルシートで覆ってあることを発見したのです。まさに生きる力です。それ以後は、どの班も雨が降ってもご飯を炊くことができました。
 道具を使う猿の話です。チンパンジーではなく、猿が道具を使うのです。数年前にNHKテレビで放映していました。クルミのような堅い木の実を食べる時に、石でクルミを割って食べる猿がいるのです。子猿は、大人の猿が石でクルミを割っているところを観察しては、自分でやってみますがクルミはなかなか割れません。石の上にクルミを置いて割ることに気づかないで土の上で割ってみたり、石の上で割ろうとしてもクルミの端をたたいてはじき出してしまったり、自分の指をたたいてしまったりでなかなかクルミを割ることができません。それで、大人の猿のすぐそばで観察してはやってみる、失敗してはまた観察してやってみる、これを繰り返し、繰り返し試行錯誤して2年くらいかけてクルミの実を割ることができるようになるそうです。それも、3から4歳くらいの時期にこれを習得しなかったら大人の猿になってからいくら練習してもできるようにはならないそうです。ここに習熟の適時性というのがあります。これは人間も同じです。幼少の頃遊びを通して身につけていなければ大人になってからではなかなか身につかないものがあるでしょう。こういう観点からも子どもたちを大いに遊ばせてください。遊びの中から学び取ることがたくさんありますから。
提案の2は「自己決定体験」を数多く積ませることことです。
 今、子どもたちは体験不足とよく言われます。体験には、自然体験、社会体験、農業体験など色々あります。私が本日提案したいのは、生活体験を通して、成功体験、失敗体験、頼りにされた体験、感謝された体験などです。中でも、今の子ども達に不足している自己決定体験を数多くさせて欲しいと思います。
 大学の先生の話を聞くと、大学生の中に「宿題を出してください」という学生がいるそうですよ。大学というところは、自分で課題を見つけ、自ら学び、研究するところでしょう。小さい頃、あまりにも「ああしなさい」「こうしなさい」と言われて育ち、自分で考えて決断する必要がなかったのですね。だから、大学生にもなって何をどう勉強してよいか分からないという学生が出てくるのです。指示は必要最低限度にして、お子さんに自己決定させてください。
 話を聞くばかりでは退屈ですね。そしてちょうど睡魔が襲ってくる頃です。みんなで一緒にゲームをしましょうか。楽しいけれど少し緊張するゲームです。歌を唄いながら、八百屋さんの店先に並んでいる野菜を一つ一つあげていくゲームです。
 「八百屋のお店に並んだ品物見てごらん。よく見てごらん。考えてごらん」とみんなで歌って当てられた人が自分で思い浮かぶ野菜の名前を一つあげます。たとえば、「トマト」と言ったら、みんなで「トマト」と復唱して、「あーあ」というのです。次の人も「八百屋のお店に並んだ品物見てごらん。よく見てごらん。考えてごらん」を繰り返します。「考えてごらん」で、最初の人が言った「トマト」と言います。皆さんもそれに続けて「トマト」と言います。そして、自分が思い浮かべる野菜名、例えば「キュウリ」と言います。みなさんも「キュウリ」と復唱します。これを繰り返すのです。ですから、後になるほど、前の人が言った野菜の名前を覚えておかねばなりませんので緊張します。遊び方、分かりましたか?
 ではやってみましょうか。前の人が言ったことを覚えていて、自分が違う野菜の名前を言わないといけないのなら、緊張する。こんな緊張する遊びはイヤだと言う人いらっしゃいますか?
 緊張はするけどおもしろいですよ。やってみましょう。
 では、まずは、歌を覚えましょう。
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪(2〜3回練習)
 ではやってみましょうか。はじめに言ってみたい人? 2番目の人? 3番目の人?
 4番目から後は、私が当てます。どなたになるか分かりません。前の人が何の野菜を挙げたかよく覚えておくのですよ。そして、自分の好きな野菜も考えておいてください。既に出てきた野菜は言ってはいけません。
 ではいきます。
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪ 「白ネギ」「白ネギ」あーあ。
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪ 「白ネギ」「白ネギ」、「トマト」「トマト」あーあ。
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪ 「白ネギ」「白ネギ」、「トマト」「トマト」、「レタス」「レタス」あーあ。
 ♪♪「やーおやの おみせにならんだ しーなものみてごらん よくみてごらん かんがえてごらん」♪♪ 「白ネギ」「白ネギ」、「トマト」「トマト」「レタス」「レタス」、「キャベツ」「キャベツ」あーあ。
 良くできました。もっと続けたいのですが時間もありますのでここらで終わりにします。
 私が牛深小学校にいます時、よくこのゲームをしていました。子どもたちは「八百屋のお店」より「魚屋のお店」がいいと言って、いろんな魚の名前をだして盛り上がっていました。
 家族で、学級活動やPTA活動でやってみてください。
 また、私が小さい頃、冬の寒い夜の暖房は火鉢でした。火鉢の周りに家族みんなが集まって炭火に手をかざして暖を取っていました。今でも覚えていますが、火持ちがいいのは樫の炭でした。ここ、福連木は樫炭の産地ですね。家族そろって火鉢に手をかざして暖をとっていると、祖母や時には母が、「いっぷくてんぷくばしようか。指を丸めて」と言い、♪♪「いっぷく てんぷく てんだいもんの おとひめが ゆうれにもまれて なくこえは ピヨピヨ モンガラ モンガラ オヒャリコヒャーリ ヒャイ」♪♪と歌うのです。
 ちょっと、手を貸してください。指を丸めて穴をつくってください。そうです。
 祖母の歌声にあわせて私が一人一人の指の輪の中に順番に人差し指を入れていきます。
 ♪♪「いっぷく てんぷく てんだいもんの おとひめが ゆうれにもまれて なくこえは ピヨピヨ モンガラ モンガラ オヒャリコヒャーリ ヒャイ」♪♪と祖母が歌い終わったとき、私の指が入っている手を火鉢から引くのです。それを繰り返して、誰の手が最後まで残るかを楽しんだものでした。冬の夜長を祖母や母が歌う童歌で、家旋みんなが童心になり過ごしました。火鉢に手をかざしているだけではなかなか暖はとれませんでしたが、家族の温もりを感じたものでした。今の子どもたちは、いや子どもどころかみなさんも「いっぷくてんぷく」の歌などご存じないと思います。ですから、歌は「どんぐりころころ」でも「小さい秋」でもいいです。家族でやってみてください。おもしろいですよ。
 提案の3は子どもたちに「心が揺り動かされる体験」をさせて欲しいことです。
 本日は、皆さんに心が揺り動かされる体験をしていただきたいと思います。
 資料に文部省道徳教育推進指導資料集第4集「一冊のノート」を付けています。長い文ですが、各自読んでみてください。斜め読みで、精読は帰られてからお願いします。また、家族にも是非読ませていただきたいと思います。
 では、どうぞ。(各自読む)
 まだ、終わりまで読み終わっていない方もいらっしゃると思いますが、終わりの部分を読んでみます。


 それから1週間あまりすぎたある日。捜しものをしていたぼくは引き出しの中の一冊の手あかに汚れたノートを見つけた。
 何だろうと開けてみると・・・  それは、祖母が少しふるえた筆致で、日ごろ感じたことなどを日記風に書き綴ったものであった。見てはいけないと思いながら、つい引き込まれてしまった。最初のページは、物忘れが目立ち始めた2年程前の日付になっていた。そこには、自分でも記憶がどうにもならないもどかしさや、これから先どうなるのかという不安などが、切々と書き込まれていた。普段の活動的な姿からは想像できないものであった。しかし、そのような苦悩の中にも、家族と共に幸せな日々を過ごせることへの感謝の気持ちが行間にあふれていた。
 「おむつを取り替えていた孫が、今では立派な中学生になりました。孫が成長した分だけ、私は歳をとりました。記憶もだんだん弱くなってしまい、今朝も孫に叱られてしまいました。自分では気付いていないけれど、ほかにも迷惑をかけているのだろうか。自分では一生懸命やっているつもりなのに・・・・あと10年、いや、せめてあと5年、なんとか孫たちの面倒をみなければ。まだまだ老け込む訳にはいかないぞ。しっかりしろ。しっかりしろ。ばあさんや。」 
 それから先は、ペ−ジを繰るごとに少しずつ字が乱れてきて、判読もできなくなってしまった。最後の空白のページに、ぽつんとにじんだインクのあとを見たとき、ぼくはもういたたまれなくなって、外に出た。
 庭の片隅でかがみ込んで草取りをしている祖母の姿が目に入った。夕焼けの光の中で、祖母の背中は幾分小さくなったように見えた。ぼくはだまって祖母と並んで草取りを始めた。  「おばあちゃん、きれいになったね。」
 祖母は、にっこりとうなずいた。

 私はこの文を読むたびにこみあげてくるものがあり、声がつまってしまいます。お聞き苦しかったことと思います。
 この資料を使った道徳の授業を参観した人の話です。
 一人の男子生徒が、読み終わると泣いていたそうです。ワークシートの上に涙をぼろぼろ落とし、涙を必死に袖でぬぐっている様子を見てその人も涙が止まらなくなったと言っていました。隣の女子生徒の目にも涙がいっぱい浮かんでいたそうです。結局この子は、ワークシートには何も書くことはできなかったそうです。先生はこの子をどう評価するのだろうと、担任の先生に尋ねると、先生は「ここに涙のあとがあります。何かを書いたのより彼の気持ちが分かります」とおっしゃたと言うことでした。
 この「一冊のノート」を先生方の人権問題研修会で読んでもらいました。目に涙を浮かべ読んでいる人、ハンカチで涙を拭いている人がたくさんいました。この会場でも、ハンカチで涙を拭いていらっしゃる方がいます。自分の家族とおばあちゃんとが重なって涙がこみ上げてくるのですね。このような心を揺り動かされる体験、この体験を私は情動体験と言っていますが、お子さんたちにこの情動体験を数多くさせて欲しいと思います。
 提案の4はお子さんたちから「手を離して目は離さない」でほしいことです。
 私が益城町の社会教育指導員をしているとき、公民館講座申込の受付をしていたときのことです。一人のおじいさんが3歳くらいの孫を連れて申し込みに来られました。帰るとき、孫が靴を履くとき、「自分で履ききっど。じいちゃんが見とるけん自分で履け。」と言ってただ見ているだけです。履き終わると、「あーあ、右左反対に履いてしもうたね。よかたい。歩かるっど。」と言って孫の手を引いて帰られました。しばらくして、お母さんが同じくらいの娘を連れて申し込みに来られました。帰るとき、玄関で「○○ちゃん、あんよをだして。」と言って靴を履かせて帰られました。同じ靴を履くという体験ですが、どちらの子が次にいきてはたらく体験をしたでしょうか?「手を離して 目は離さない」ようにしましょう。
 熊本県教育行動指標に、「認め 褒め 励まし 伸ばす」があります。子どもたちの言動を認め、褒めることは目を離していてはできません。子どもの行動を見守っておくことが大切です。そして、大いに認め、褒めてください。認められ、褒められることが子どもたちにとっては自己実現となり、自己存在感、自己有用感を実感します。これが自尊感情を大きく育むのです。
 家庭の中の仕事を役割分担して、「この仕事はあなたの仕事」と責任持ってさせてください。朝のカーテン開けでもいいです。新聞を取りに行くことでもいいです。手伝いではなく仕事としてさせてください。そして、それがきちんとできた時は、大いに認め褒めてください。子どもたちはこのことにより、自己有用感、自己存在感を味わいます。これが自尊感情を形づくります。
 富山県や石川県、福井県などがある北陸地方は生涯学習が盛んなところです。公民館講座やカルチャーセンターなどで学ぶ人が多いところです。新潟県にある上越教育大学の新井郁夫という先生が、公民館講座等で学ぶ人に対してアンケートをとられました。その結果、公民館で学ぶ人の大部分が小学校4年生頃から中学校2年生頃にかけて、先生や友達、家族から褒められた経験を数多く持っていたということがわかりました。つまり、小学校高学年から中学校にかけて褒められた経験が多い人は学習意欲が旺盛であるということが分かったのです。この学習意欲は、高齢になってからだけでなく、現在の学習意欲につながります。北陸の人たちは、子どもの頃認め、褒められる体験を通して自己有用感、自己存在感、自己肯定感などをはぐくみ、自尊感情を高めていったのです。
 さらに、熊本には「熊本の心 助け合い 励まし合い 志高く」があります。この精神も家庭でも持ちづけてください。
 提案5の「生活習慣の確立」は時間がありませんので本日は割愛します。早寝・早起き・朝ご飯の基本的生活習慣を身につけさせることが子どもたちにとってなぜ大切なのかについては、資料を付けています。立命館大学附属小学校長の陰山秀夫さんの主張を新聞記事にしたものです。お帰りになりましたら是非読んでください。
 また、私が熊日や朝日新聞に投稿しました、「子どもをほめて自己実現増幅」「幼児に読んで見せたい童話」「ままごと遊びで想像力養おう」も時間を見つけて読んでいただければと思います。
 提案6は、「子育てのピンチをつくらない」ことです。
 今、皆さん方のお顔を拝見していますと、とても穏やかです。笑顔で私の話を聞いていただいています。私が自分で言うのもおかしな事ですが、私が話していますことはよく耳に入っていることと思います。ところが、講演終了予定の時刻が過ぎてもまだ私が話を続けますと、皆さんの中にはだんだん眉間にしわが寄る人が出てくると思います。「もう時間が過ぎているのにいつまでも終わらっさん」。こうなったら、いくらすばらしいことを言っても耳には入りません。できるだけ、予定時刻には終わりたいと思います。
 今晩は仕事でお疲れにもかかわらず、こうして私の話を聞きにおいでています。家庭が穏やかで子育てに熱中できているからだと思います。子育てに集中しているからこそ、子育てに悩みがありもっと違う角度から子育てを見つめ直したいなどの気持ちが、ゆっくり休みたいと思う気持ちを上回って熱心に聞いてもらっているのだと思います。
 ちょうど今皆さんが平穏な気持ちで私の話を聞いていらっしゃるように、子育てに平穏な気持ちで熱中できるのは、夫婦の仲が、家族の仲がよいからです。家族の仲、特に両親の仲がよいと、子どもたちは明るく元気に生活できます。両親がケンカなどしているときは、子どもたちの顔は下を向きがちです。
 自分がイライラしたり気をもんでいることがある時、子どものちょっとしたことで怒鳴り声を上げることはありませんか。これは子育てにいい影響は与えません。これを私は子育てのピンチと言っています。家族の誰かに健康問題が生じたり夫婦で諍いが生じたりすると、平静な心で子育てに当たることは難しいです。ですから、健康には日頃から気をつけることです。そして夫婦仲良く暮らすことです。仲良くと言っても、意見は対立することがあります。当たり前ですよね。これまで何十年も違う価値観、違う生活をしてきた者同士が夫婦となるのですから。子育てのことでの意見の対立もよくあるものですね。そんなとき、子どもの前では、口げんかもましてやつかみ合いやものを投げてのけんかはしないことです。わずか7ヶ月の孫が私たちが大声で話をしたり、声の調子が日頃と違うと、顔の表情が違ってくるのですから。
 私は、いじめ不登校アドバイザーの仕事をしています。不登校の子ども達の中には、「明日は学校に行こう」と前の晩から登校の準備をして朝玄関に向かい、玄関を出ようとすると体が硬直して足を前に踏み出せない子がいます。「学校に行きたい、でも足が一歩でない」ことで、親御さんも本人も心の葛藤をしています。学校も関係者も温かい心で支援していらっしゃいます。不登校の子どもたちは、いろんな要因で不登校状態にありますが、不登校の子どもの中には、小さい頃の両親の諍いが心に陰を落として、登校できないという子がいます。
 家族が仲良く、明るく元気に過ごすことが、子どもたちが元気で明るく、顔を上げて前向きに生きていくことにつながります。子育てのピンチを作らないようにしましょう。  
 中国の「詩経」に「妻子好く合うこと琴瑟を鼓するが如し」という言葉があります。琴は琴のことです。瑟は大きな琴のことです。この琴と瑟をを奏でると、その音色が響き合い、よく調和して、楽しい雰囲気を醸し出すことから、夫婦仲の好いことを例えて言う言葉です。家族・夫婦は仲良く、心安らかに、子育てに当たりましょう。家庭内でピンチを作らないようにしましょう
 時間がなくなりました。論語にある「恕」の精神をお話しして終わりにします。
 論語というと、難しいもの、そして古い考えのように思えますが、今の時代にぴったりのことがあちこちに出ています。
 資料として付けています一説を私が読みます。一緒に読みましょう。  
 子貢問うて日く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべきもの有りや。
 子日く、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
 これは、孔子の門弟の一人 子貢が孔子に人生の生き方を問うているものです。
 「先生、私が先生から教えられたたった一文字を大切に生きれば、人間として誤らずに生を全うできるという字があったらお教えください」と問うのです。
 「その文字は恕だ。そして、自分がして欲しくないことは他人にもしないことだ。」と教え諭したのです。
 「恕」の意味は、「常に相手の立場に立って、ものを考えようとする優しさ、思いやり」のことです。
 意味をかみしめながら一緒に声に出して読みたいと思います。どうぞ。
 子貢問うて日く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべきもの有りや。
 子日く、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
 ありがとうございました。
 家庭で、いつもこの恕の精神を持ち続け、天草町の子ども達が益々健やかに成長しますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。

資料 

「一冊のノート」     北鹿渡 文照

 「おにいちゃん、おばあちゃんのことだけど、このごろかなり物忘れが激しくなったとおもわない。ぼくに、何度も同じことを聞くんだよ。」
 「うん、今までのおばあちゃんとは別人のように見えるよ。いつも自分の眼鏡や財布を探しているし、自分が思い違いをしているのに、自分のせいではないと我を張るようになった。おばあちゃんのことでは、おかあさん、かなりまいっているみたいだよ。」
 弟の隆とそんな会話を交わした翌朝の出来事であった。
 「お母さん、ぼくの数学の問題集、どこかで見なかった。」
 「おかしいな、一昨日この部屋で勉強したあと、確かにテレビの上に置いといたのになあ。」
 学校へ出かける時間が迫っていたので、ぼくはだんだんいらいらして、祖母に言った。
 「おばあちゃん、また、どこかへ片づけてしまったんじゃないの。」
 「私は何もしていませんよ。」
 そう答えながらも、祖母は部屋のあちこちを探していた。母も隆も問題集を探し始めた。
 しばらくして、隆は隣の部屋から誇らしげに問題集をもってきた。
 「あったよ、あったよ、押し入れの中の新聞入れに昨日の新聞と、一緒に入っていたよ。」
 「やっぱり、おばあちゃんのせいじゃないか。」
 「どうして、いつもわたしのせいにするの。」
 祖母は、責任が自分に押しつけられたので、さも、不安そうに答えた。
 「そうよ、なんでもおばあちゃんのせいにするのはよくないわ。」
 母が、ぼくをたしなめるように言った。ぼくは、むっとして声を荒げて言い返した。
 「何言っているんだよ。昨日、この部屋を掃除してたのはおばあちゃんじゃないか。新聞と一緒に問題集も押し入れに片づけたんだろう。もっと考えてくれよな。」
 「そうだよ。おにいちゃんの言うとおりだよ。この前、ぼくの帽子がなくなったのも、おばあちゃんのせいだったじゃないか。」
 「しっかりしてよ、おばあちゃん。近ごろ、だいぶぼけてるよ。ぼくら迷惑してるんだ。今も隆が問題集を見つけなかったら、遅刻してしまうところじゃないか。」
 いつも被害にあっているぼくと隆は、いっせいに祖母を非難した。祖母は悲しそうな顔をして、ぼくと隆を玄関まで見送った。
 学校から帰ると、祖母は小さな机に向かって何かを書き込んでいた。ぼくには、そのときの祖母のさびしそうな姿が、なぜかいつまでも目に焼き付いて離れなかった。
 祖母は、若いころ夫を病気で亡くした。その後、女手一つで4人の息子を育て上げるかたわら、児童民生委員や婦人会の係を引き受けるなど地域の活動にも積極的に携わってきた。そんなしっかりものの祖母の物忘れが目立つようになったのは、65歳を過ぎたここ1・2年のことである。祖母は、自分は決して物忘れなどしていないと言い張り、家族との間で衝突が絶えなくなった。それでも若い頃の記憶だけはしっかりしており、思い出話を何度もぼくたちに聞かせてくれた。このときばかりは、自分が子どもに返ったように目を輝かせて話をした。両親が共稼ぎであったことから、ぼくたち兄弟は幼いころから祖母に身の回りの世話をしてもらっており、今でも何かと祖母に頼ることが多かった。
 ある日、部活動が終わって、ぼくは友だちと話しながら学校を出た。途中の薬局の前で、友だちの一人が突然指さした。
 「おい、みろよ。あのおばあさん、ちょっとおかしいんじゃないか。」
 「ほんとうだ。なんだよ。あの変てこりんな格好は。」
 指さす方を見ると、それは季節はずれの服装にエプロンをかけ、古くて大きな買い物かごを持った祖母の姿であった。確かに友だちが言うとおり、その姿は何となくみすぼらしく異様であった。ぼくは、あわてて祖母から目を離すとあたりを見回した。道路の向かい側で、二人の主婦が笑いながら立ち話をしていた。ぼくには、二人が祖母のうわさ話をしているように見えた。
 祖母は、すれちがうとき、ほほえみながら何か話しかけた。しかし、ぼくは友だちに気づかれないように、知らん顔をして通り過ぎた。友だちと別れた後、ぼくは急いで家に帰り、祖母の帰りを待った。
 「ただいま。」
 祖母の声を聞くと同時に、ぼくは玄関へ飛び出した。祖母は、大きな買い物かごを腕にぶら下げて、汗を拭きながら入ってきた。
 「ああ、暑かった。さっき途中であった二人は・・・・。」
 「おばあちゃん。なんだよ、その変な格好は。何のためにふらふら外を出歩いているんだよ。」
 ぼくは、問い詰めるような厳しい口調で祖母の話をさえぎった。
 「何をそんなに怒っているの。買い物に行ってきたことぐらい見れば分かるでしょ。私が行かなかったらだれがするの。」
 「そんなこと言っているんじゃない。みんながおばあさんのことを笑っているよ。かっこ悪いじゃないか。」
 「そうして、みんなで私をバカにしなさい。いったいどこがおかしいって言うの。だれだって年をとればしわもできれば白髪頭になってしまうものよ。」
 祖母のことばは、怒りと悲しみでふるえていた。
 「そうじゃないんだ。だいたいこんな古ぼけた買い物かごを持って歩かないでくれよ。」
 ぼくは腹立ちまぎれに祖母の手から買い物かごをひったくった。
 「どうしたの。大きな声を出して。おばあちゃん、ぼくが頼んだものちゃんと買ってきてくれた。」
 「はい、はい。買ってきましたよ。」
 隆は、買い物かごをぼくから受け取ると、さっそく中身を点検し始めた。
 「おばあちゃん、きずばんと軍手が入っていないよ。」
 「そんなの書いてあったかなあ。えーと、ちょっと待ってね。」
 祖母は、あちこちのポケットに手を突っ込みながら1枚の紙切れを探し出した。見ると、それは隆が明日からの宿泊合宿のために祖母に頼んだ買い物リストであった。買い忘れがないように、祖母の手で何度も鉛筆でチェックされていた。
 「やっぱり、きずばんも軍手も、書いてありませんよ。」
 「それとは別に、今朝、買っておいてくれるように頼んだだろう。」
 「そんなこと、私は聞いていませんよ。絶対聞いていません。」
 「あのね、おばあちゃん・・・・。」
 隆は、今にもかみつくような顔で祖母をにらんだ。
 「もうやめろよ。おばあちゃんは忘れてしまったんだから。」
 「なんだよ、おにいちゃんだって、さっきまで、おばあちゃんに大きな声を出していたくせに。」
 ぼくは不服そうな隆を誘って買い物に出かけた。道すがら、隆は何度も祖母の文句を言った。
 その晩、祖母が休んでから、ぼくは今日のできごとを父に話し、なんとかならないかと訴えた。父は、ぼくと隆に、先日、祖母を病院に連れて行ったときのことを話し出した。
 「お前たちが言うように、おばあちゃんの記憶は相当弱くなっている。しかし、お医者さんの話では、残念ながら現在の医学では治すことはできないんだそうだ。これからもっとひどくなっていくことも考えておかなければならないよ。おばあちゃんは、おばあちゃんなりに一生懸命やってくれているんだからみんなで温かく見守ってあげることが大切だと思うよ。今までのように、何でもおばあちゃんに任せっきりにしないで、自分でできることぐらいは自分でするようにしないといけないね。」
 「それはぼくたちもよく分かっているよ。だけど・・・。」
 これまでの祖母のことを考えると、ぼくはそれ以上何も言えなくなった。
 その後も、祖母はじっとしていることなく家の内外の掃除や片づけに動き回った。そして、ものがなくなる回数はますます頻繁になった。
 ある日、友だちからの電話を受けた祖母が、伝言を忘れたため、ぼくは友だちとの約束を破ってしまった。父に話したあと怒らないようにしていたぼくも、このときばかりは激しく祖母をののしった。
 それから1週間あまりすぎたある日。捜しものをしていたぼくは引き出しの中の一冊の手あかに汚れたノートを見つけた。何だろうと開けてみると・・・
 それは、祖母が少しふるえた筆致で、日ごろ感じたことなどを日記風に書き綴ったものであった。見てはいけないと思いながら、つい引き込まれてしまった。最初のページは、物忘れが目立ち始めた2年程前の日付になっていた。そこには、自分でも記憶がどうにもならないもどかしさや、これから先どうなるのかという不安などが、切々と書き込まれていた。普段の活動的な姿からは想像できないものであった。しかし、そのような苦悩の中にも、家族と共に幸せな日々を過ごせることへの感謝の気持ちが行間にあふれていた。
 「おむつを取り替えていた孫が、今では立派な中学生になりました。孫が成長した分だけ、私は歳をとりました。記憶もだんだん弱くなってしまい、今朝も孫に叱られてしまいました。自分では気付いていないけれど、ほかにも迷惑をかけているのだろうか。自分では一生懸命やっているつもりなのに・・・・あと10年、いや、せめてあと5年、なんとか孫たちの面倒をみなければ。まだまだ老け込む訳にはいかないぞ。しっかりしろ。しっかりしろ。ばあさんや。」
 それから先は、ペ−ジを繰るごとに少しずつ字が乱れてきて、判読もできなくなってしまった。最後の空白のページに、ぽつんとにじんだインクのあとを見たとき、ぼくはもういたたまれなくなって、外に出た。
 庭の片隅でかがみ込んで草取りをしている祖母の姿が目に入った。夕焼けの光の中で、祖母の背中は幾分小さくなったように見えた。ぼくはだまって祖母と並んで草取りを始めた。
 「おばあちゃん、きれいになったね。」
 祖母は、にっこりとうなずいた。
                   文部省道徳教育推進指導資料集第4集(平成6年3月)



                            参加者 感想

○話が堅苦しくなく、ユーモアのある講演でとても心に響く内容だった。
○楽しいお話でわかりやすく、興味が湧きました。
○自尊感情の大切さ、自己決定の場を持たせること、恕の精神など子ども達を育てる上で大切なことを学べたのでよかったです。
○子どもの自主性を伸ばす家庭教育に取り組みたいと感じました。
○子どもにどんな子に育って欲しいと願いながら付けた名前を怒鳴り声ではなく優しい気持ちで呼べるようになりたいと思いました。子どもを抱きしめてやりたいと講演を聞きながら思いました。
○思わず話に引き込まれ時間を忘れるお話でした。家庭内で実行しやすいことが多く、参考になりました。
○家庭内の身近なことをとりあげて話してくださってよかった。
○話が上手で面白かった。
○今までの子育てのよい点、悪い点を考えることができました。
○子どもを育てていくために、どんなことを大切にしていけばよいのかが分かりました。
○自分の子育てについて、先生の話から反省させられました。
○とてもよい話で心に残りました。野菜の歌がよかったです。
○子どもとの関わり方、生きる力を学ぶ教育のありかた、とても参考になりました。
○子どもとの接し方、自尊感情を高めていくことの大切さを学び、子育てを見つめ直していきたいと思いました。
○自分たちのすごく身近なことをたとえて話をされたのですごく心に伝わるものがありました。
○ただ話を聞くだけではなかったので退屈せず、眠くならずに聴くことができました。
○子育て、教育のすばらしさに改めて感動しています。心がとても温かくなりました。やっぱり私は子ども達のためにいます。常にそう思って生きていきます。
○子どもを褒めて育てようと思いますが、なかなかできません。「ほめる」「認める」事の大切さを改めて感じました。
○今後も夫婦仲良く子育てにあたっていきたいと思います。
○今回は一人で参加したので、次回は嫁も呼んで参加したい。
○熊本弁の尾木ママ話に深みがあり、資料4などとてもいいお話でした。
○もう少し、保護者の参加があればよかった。子育て中の方が聞くべき話でした。
○今後も夫婦仲良くやっていこうと思いました。